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東京製旗株式会社歴史
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■1937年(昭和12年創業)
東京製旗株式会社の歴史 日の丸国旗とともに 東京都本所にて創業


昭和15年に開催予定の東京オリンピックや昭和15年の紀元2600年を祝う行事・式典が各地で行われ、当時の時代背景の軍需ということもあり日の丸の需要はとても多く、生産に忙しかったようです。

昭和17年ごろから東京も空襲に見舞われ昭和20年の東京大空襲で東京製旗のあった下町地区は焼き尽くされました。
日の丸製造風景(創業時・戦前)  
東京製旗株式会社の歴史 日の丸国旗とともに
当時日の丸は1枚ごとに染める友禅染が基本でした。大変な手間がかかり、日の丸の周囲の白地が汚れたりとなかなか純白な日の丸を生産するのに苦労していました。
東京製旗では布地を10枚程度重ねて、丸い鉄製の型枠を四方をボルトで締めて赤い染料を注ぐという新しい染め方式を考案して品質の良い日の丸の量産化に成功しました。
この染色方式は、その後改良が加えられ平成の時代まで続きました。 
東京製旗株式会社の歴史 日の丸国旗とともに
手に持った丸い形状の物が日の丸を染める型枠

■1943年(昭和18年) 2代社長 小林貴治の出征風景
東京製旗株式会社の歴史 日の丸国旗とともに 出征の時には、日の丸がたくさん飾られました
■1945年〜1949年(昭和20年〜24年) 日の丸の空白期間
1945年(昭和20年)8月終戦後はGHQ(連合国総司令部)の命令により一般国民の日の丸掲揚は認められない期間が続きました。
1948年ごろより、祝日のみ日の丸の掲揚が認められ、1949年(昭和24年)に日の丸掲揚が一般国民に全面的に許可されました。
東京製旗は工場も設備も戦災によりすべて失っていましたが、1949年ごろより設備を借り受けて再出発となりました。

■1950年〜(昭和25年〜)戦後の第一次日の丸ブーム 
1951年(昭和26年)サンフランシス講和条約
東京製旗株式会社の歴史 日の丸国旗とともに この当時はサンフランシスコ講和条約の締結を控え、日の丸の注文がどんどん入りました。
日の丸の中で食事をし、日の丸の下で眠るというような生活でした。
画像:東京製旗株式会社50年史より

 当時販売された日の丸
東京製旗株式会社の歴史 日の丸国旗とともに 1950年(昭和25年)、時の文部大臣天野貞祐は「日の丸を掲揚することはまことに望ましい。大いに掲揚しよう」と日の丸掲揚を奨励したことが追い風になって日の丸の注文が激増しました。

この年は、大変な不況に見舞われましたが、当時の日銀の一万田尚登総裁が、不況の繊維業界から大量の布地を買い上げ、活用方法を皇居外苑保存協会に委託しました。
 
資料:皇居外苑保存協会様提供
結果、日の丸をつくって国民に低価格で販売することになり、製造を東京製旗が受注することになりました。
東京製旗にとっての第一次日の丸ブームとなりました。
当時、徹夜続きで日の丸を生産していました。

画像は日の丸を乾燥させているところ。ボイラー乾燥機などない時代ですからすべて天日干しでした。雨の日は、工場内では足りず、住まいの中に干したので、日の丸の下で眠りました。
商品は山積み状態。出来上がった日の丸を納品に行くことが連日続きました。

当時の工場スタッフ写真 

■1954年(昭和29年)日の丸制定100周年記念パレード
 東京製旗株式会社の歴史 日の丸国旗とともに  ペリー来航の翌年、幕末安政元年(1954年)に日の丸が制定されてからちょうど100年目に当たるこの年、約1万人のパレードが盛大に行われました。
旗業界からも200人が参加し、日の丸普及に一役買いました。(東京商工会議所と旗商工組合主催)

■1959年(昭和34年)皇太子様ご成婚 第二次日の丸ブーム
東京製旗株式会社の歴史 日の丸国旗とともに 国民がこぞって日の丸を掲げて、この慶事を祝おうと、日の丸を買い求める人の列が東京製旗の店先に延々と続きました。
全国のお得意様から連日1000枚単位の大量の注文の電話が鳴り続きました。日の丸ブームの絶頂期といっても過言ではありませんでした。
画像:東京製旗株式会社50年史より

■1964年(昭和39年) 群馬工場新設
東京製旗株式会社の歴史 日の丸国旗とともに 東京製旗株式会社の歴史 日の丸国旗とともに 東京オリンピック特需など、東京の工場だけでは注文に対応できなくなり東京工場を閉鎖し群馬に工場を新設しました。
1Fで染色加工、2Fで裁断・縫製を行い社内一貫生産体制ができあがりました。
この頃から、日の丸からのぼり旗などの宣伝関係の旗の受注が増加して行きました。 
当時の設備風景
シルクスクリーンプリント
長板設備の導入・長さ25m×4面
ミシン縫製作業場
 
群馬工場オートスクリーンプリント設備の導入
日の丸中心から宣伝のぼり旗などの広告関係の仕事へ転換
東京製旗株式会社の歴史 日の丸国旗とともに オートスクリーン設備の導入により飛躍的な生産効率アップにつながりました。
また、デジタル製版機の導入により製版の精度・スピードがアップしました。

日の丸中心から宣伝旗・広告のぼり旗などに東京製旗の主力は移行して行きました。
現在の群馬工場  デジタルプリント設備 
東京製旗株式会社の歴史 日の丸国旗とともに デジタルプリンタの導入により世界の国旗のような複雑な紋章の再現やや多色の小ロットプリントが可能となりました。

■1964年(昭和39年)東京オリンピック 第三次日の丸ブーム
東京製旗株式会社の歴史 日の丸国旗とともに ライオン歯磨様から販売店様向けのセール用の宣伝横幕と手ぬぐい10万本を受注しました。手ぬぐいに五輪マークの5色を染めるのは、当時の染色技術では大変難しい仕事でした。
ほぼ全行程を手作業で短期間で仕上げなければならないので、連日の徹夜作業でした。
東京製旗株式会社の歴史 日の丸国旗とともに オリンピック前年の1963年(昭和38年)ごろから連日大量の日の丸の注文が続きました。連日、日の丸を染めても染めても注文に追いつかず、この期間だけで60万枚という膨大な枚数の日の丸を生産しました。東京製旗にとっての第三次日の丸ブームでした。
画像:東京製旗株式会社50年史より  

■1968年(昭和43年) 「飯塚事件」
東京製旗株式会社の歴史 日の丸国旗とともに
飯塚毅先生
東京製旗株式会社の歴史 日の丸国旗とともに
当時の訴訟資料
東京製旗は高杉良のベストセラー小説「不撓不屈」で描かれ、後に映画化された「飯塚事件」の当事者でした。
当局の指導に屈して修正申告する会社が多い中、若き飯塚毅先生を顧問に迎えた東京製旗は先生の信念に共感して、東京製旗を原告に税務署を被告に訴訟を起こしました。1968年に判決が出て、後に法人税法改正のきっかけとなりました。  

■1989年(昭和64年) 昭和天皇崩御
 東京製旗株式会社の歴史 日の丸国旗とともに  今までの日の丸ブームと違って、家庭向けよりも官公庁、企業、学校、商店などから大きなサイズの日の丸の注文が殺到しました。
当時、在庫していた日の丸はすべてなくなりました。それでもお客様の注文には足りませんでした。
画像:東京製旗株式会社50年史より
東京製旗株式会社の歴史 日の丸国旗とともに 昭和天皇の崩御を悼み日の丸の弔旗が並んでいる商店街。

■1994年(平成6年)Jリーグ開幕
東京製旗株式会社の歴史 日の丸国旗とともに 日の丸の需要も徐々に減少し
この当時は日の丸の売上は会社全体の売上の5%程度にまでなっていました。

Jリーグが開幕してJリーグブームが起こります。入場チケットはプラチナと呼ばれ、国立競技場をはじめ全国のスタジアムは常に満員になりました。
サポーターがチームのフラッグを振って応援しました。試合ごとに万単位のフラッグが売れました。応援フラッグ特需で生産に追われました。
画像:東京製旗株式会社50年史より  

■1995年(平成7年)幻の世界都市博覧会
東京製旗株式会社の歴史 日の丸国旗とともに 平成7年春から東京の臨海副都心で開催予定だった「世界都市博覧会」が青島幸男新知事により突然中止となりました。
商品化許諾を受けて東京製旗はグッズをすでに大量に生産していました。
すべて廃棄処分の指示がきました。
東京都より費用は補填してもらいましたが、せっかく社内でアイデアを出し合って作った商品を廃棄するのはお金だけのことではなく残念な思いが残りました。

■1999年(平成11年)「国歌・国旗法」の制定
東京製旗株式会社の歴史 日の丸国旗とともに 日本国旗は日の丸であると法制化されました。多方面のマスコミから取材を受けました。

日の丸の需要は減少が続き、この当時日の丸の売上は会社売上の3%に満たない状況でした。

■2002年(平成14年)サッカーワールドカップが日本で開催
東京製旗株式会社の国旗の歴史  サッカーW杯が日韓で共同開催されました。出場国32ヵ国の国旗の生産やスポンサー企業のW杯キャンペーン旗の受注を受けてとても忙しい年になりました。

■2006年(平成18年)世界の国旗生産とネット販売への進出 
東京製旗株式会社の歴史 日の丸国旗とともに この頃から日の丸だけではなく、世界の国旗を国連加盟国すべて自社生産し、在庫することになりました。
同時にインターネット販売を開始。
楽天市場・アマゾン・ヤフーショッピング等のネットモールに進出しました。ネットビジネス初体験のため試行錯誤の上、徐々にお客様に認知され、東京製旗の強い販売手法の一つになりました。

■2021年(令和3年)東京2020オリンピック開催
 
コロナ禍で開催
1年延期定され、2021年に開催されるも競技会場は前代未聞の無観客で大会が実施されました。
聖火リレー、ライブ会場などの応援イベントも中止されました。

東京2020に向けて世界中の国旗などフラッグを大増産して準備しましたが行き場を失ってしまいました。

■東京製旗株式会社の本社ビル
1937年(昭和12年)
創業時 墨田区向島本社
1959年(昭和34年)
日本橋 本社ビル新築
墨田から日本橋へ移転
 1990年(平成2年)
日本橋 本社ビル建替え 
地上9階、地下1階
東京製旗株式会社の歴史 日の丸国旗とともに 東京製旗株式会社の歴史 日の丸国旗とともに 東京製旗株式会社の歴史 日の丸国旗とともに
 
2022年(令和4年)5月
本社事務所新築(スカイツリーのお膝元墨田区業平)  
東京墨田営業所内に新本社事務所を新築し、同時に日本橋本社と墨田営業所を統合し本社としました。

日本橋の旧本社ビルは自社テナントビル
「TOSPAビル」として継続しています。


■2022年5月「旗の専門店トスパ」を新規オープン
東京日本橋の「旗の専門店トスパ」を閉店し、東京スカイツリーのお膝元、墨田区業平に「旗の専門店トスパ」を新規オープンしました。
新本社事務所の1Fになります。

国旗等の旗の専門店として、実店舗とネット販売でお客様にご満足いただくことを目指しています。
旗の専門店「トスパ」  TOSPAロゴマーク

■歴代社長
初代社長
小林永治
2代社長
小林貴治
 3代社長
小林英雄
4代現社長 小林達夫
東京製旗株式会社の歴史 日の丸国旗とともに
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